書き逃げ

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『ワンダーウーマン』ガル・ガドットを見るための映画

とても残念な出来……。

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結構期待をしていた。DCEU映画にはずっと「不発」感を持っていたので、「女性映画監督で」という限定条件が付いていたとしても(アメリカで)大ヒットしたのは凄いと思ったし、なにかキラリと光るものがあるのだろうと思っていたのだ。

見てみたら、ガル・ガドットはメチャクチャ光り輝いていた。それはもう、誰にも太鼓判を押せる。引きでの手足の長い立ち姿、かといって華奢すぎないあたりは、俺にとってはありがたい画である。顔のアップで、左の口元、右の額にある吹き出物(かな?)が撮られている(修正されていない)ことも、いいなあと思う。だって、ガル・ガドットが見たいんだもん。撮影されていたときのガル・ガドットのコンディションをちゃんと見せてくれてありがとう! と思う。

だけど、実にダルいのである。長い映画だ。141分。ガル・ガドットを長く見られる、という点を除くと、これはかなり減点になる要素だ。生まれ育った島の描写、ロンドンに着いてからのやりとり、全部もっと短く出来んだろ。

丁寧に撮っているのだ、というのは言い訳にはならない。僭越ながら言いますが、「全部を見せなくても経緯を観客に想像させ、納得させる」というのが映画の編集のキモですがな。ダラダラやられるせいで、軍の(かな?)会議で「兵隊は死ぬのが仕事ってどういうこと!?」みたいなことをダイアナが言う場面が映えない。というか、台詞で言わないといけない場面になってもうてますがな。残念ながらダサい。

そういうもっさりした演出、もったりした場面の連続により、集中力がどんどん失せるし、細かい語り口の下手くそさも気になってくるのだ。

例えば、ダイアナは自分が毒ガスに耐性があることを、どうやって確信したのか? あれは激情に駆られて毒ガス渦巻く中に入って行くとかしないといけないと思うんだがなあ。馬が可哀想だったんだろうね。

その前の、無人地帯に飛び込んでいくところも、彼女が自分の銃弾に対する攻撃の強さに相当自信が無いと、おかしいシーンになっていると思うのだ。だって、「本人が普通のアマゾンの女戦士と同じだと思ってる。違うということを母親が本人に言わない」のを思わせぶりに撮ってるからね。

もちろん、ワンダーウーマンが相当に頑丈なキャラクターだってことは僕も知ってますよ。『バットマンvsスーパーマン』も見てるから(そしてガッカリさせられた)。でも、どれぐらいの強さかってことを、当人が驚きながら自覚していく語り方にして悪いことは何もないはずだ。『スパイダーマン:ホームカミング』みたいに蜘蛛に噛まれるところを省く、という割り切りをしないで長くやる以上は、せめてその辺はきっちりやりましょうや。

『スパイダーマン:ホームカミング』かなり楽しめるが、キートンの怒りは…。 - 書き逃げ

そして、ラストのバトルが実に『BVS』的な、悪い意味でジャンプ的な、『うおー!』と叫んだら逆転できる的な展開で、本当にガッカリした。どちらがどうして勝つのかということにロジックが薄い(まるでないとはさすがに言わないが)。マーベルはそういうところ、ギリギリちゃんとしてるよなあ。どのキャラクターが何が出来て何が出来ないのか、何が“たまたま”出来て逆転したのか、みたいなところ。

そして、あまりに爆発含めたアクションのカロリーが高すぎるせいで、映っている誰も主体に見えないところ。感情移入の手前に連れ戻される感じがあるなと思った。

 

重箱の隅的な言い草になるが、映画が長いせいで、画の緊張感を保たせられなくて監督が困り始めたなと思ったのは、クリス・パインがバイクで走るシーンを90度横にしたときだ。ああ、辛そうだなと思った。

『スパイダーマン:ホームカミング』かなり楽しめるが、キートンの怒りは…。

品川のIMAX 3Dで鑑賞。

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かなりよく出来ていて、楽しめた。ぺちゃくちゃ喋りまくる小僧っ子であるところのピーター君、イヤな感じになる可能性もあったわけだが、トム・ホランドの好感を持てる演技でどうしても感情移入してしまう。これでほぼ、この映画は成功を確定させたようなものだ。

(これは余談なのだが、スパイダーマンの頑丈さってどれぐらいなものなのだろう? ハルクはどんなことがあっても死なないし、傷つかないのだと思う。アイアンマンも、アーマーを着ている限りは果てしなく大丈夫そうに見える。でもキャプテン・アメリカは車にはねられたらキツそうだ。俺はスパイダーマンもそれぐらいかと思っていたのだが、この映画ではかなり丈夫ですね。ヘルメット的なものがなくても、建物崩落の下にいても大丈夫だったわけだから)

 

それはよくある引っかかりとして、今作に感じる、そして問うべき一番の問題は「ヴィランの動機が真っ当な場合問題」だろうと思った。

マイケル・キートンが好演するヴィラン「バルチャー」は、要は中小企業の社長である。アベンジャーズが暴れて廃墟になった地域を片付ける仕事を請け負い、そのために人を多く雇い、トラックも買った。

それを、「異星人の落とし物がいっぱいあるから」という理由で、スターク・インダストリーと政府の合弁事業に仕事を取られてしまう。これでキートンが怒るのも当然である。社員と我が身、家族の生活が立ち行かなくなるのだから。

「富裕層へ富が集中すること」への怒りも、キートンは語っていた。正当な怒りだと思うし、富裕層を代表するところのトニー・スタークが「善玉」なのか? という疑問にも通じる。結構大事な問題提起ですよね。「マーベルシネマティックユニバース」を“庶民の娯楽”として受け取っているわれわれ庶民にとっても。

であるにも関わらず、「ヴィランの動機」という形で明確にテーマとして提示されている「富裕層への怒り」が、この映画では全く解消されないのだ。キートンはついに、アイアンマンと戦わない。パシリ、よく言って一兵卒のピーター少年が代わりに、トニー・スタークに認められたいという動機で戦ってしまうのである。『仁義なき戦い』か? 広島代理戦争か!? 金子信夫には絶対タマは当たらんのか。

キートンの拳は、少なくとも一回はトニーに当たり、トニーに血を流させ、反省させるべき話だと思った。いや俺もね、別にこの映画で貧困問題を解決しろとは言うてませんよ。ただ、トニーは少なくとも己の組織が、中小企業の経営を圧迫したことを劇中で知らないとおかしいだろうと思うのだ。

知って、痛い目に遭った上で、トニーが基金を設立するとか民間に業務を委託するとかいった選択をすれば俺は大体納得した。ちょろい納得だな、我ながら。

あと、なんでトニー・スタークは役名で、マイケル・キートンは役者の名で書いてしまうのだろう。

『ターミネーター2 3D』現代アクション映画の金字塔(の3D版)

言いすぎではないと思う。

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一作目に続き、またも遠路はるばる立川まで赴き、見てきた。3Dかどうかは抜きにしても、とにかく画面がきれいで、というか「かつて見た、記憶の中のままの美しさの」『T2』が見られてよかった。3D自体も、「なんとか効果を出そうとしやがって」みたいなやたらに飛び出して目が疲れるような不快感はないちょうどいい仕上がりである。

でも、厳密に言うと「記憶の中のままの美しさ」ではないところがあることに気づかされて、「そりゃそうか」とも思った。

俺の記憶の中ではこの映画は、潤沢な予算で、思いついたアクション、変形、爆発、すべてを当時最高のクオリティで撮ったというだけではなく、超ウルトラハイパークリアな映像である、ということになっていたのだ。

でも、今回見てみたら、薄暗いシーンとかでは結構フィルムグレインがあった。また、冒頭の戦闘(戦場)シーンでは、合成された奥の方(巨大なT-100?や、ハンターキラーが飛んでいる)と、手前(人間が攻撃をよけて走ったりしている)の間で画質の違いが歴然としていて、「こんなに『古い映画』に見えるとは!」と驚いてしまった。しかしこれは、ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ 特別篇』的なオリジナルへの冒涜をしていないということであり、好ましい。いいレストアだ。

内容はもう、ご存知と思うので詳しく書かないけれど、最高にいい満腹感を味わわせてくれる映画である。見せ場もかなり、この当時としては驚異的に、多い。始まって間もないのに惜しげもなく水路でカー(バイク)チェイス! ここの「実際にバイク2台、トレーラー1台同時に走らせてますよ」と錯覚&納得させる撮り方は最高にうまい。もちろん、本当に同時に走ってる時もあるのだろうが、ずっと映画通りなわけはないしね。

あと、当時見て「ああ、これはとてつもない映画だな」と思わされた(ことを思い出した)シーンが、サラ・コナーが夢で見る核爆発シーンだ。これ、ちょっとした悪夢のシーンに過ぎないのに、ちゃんとミニチュアセットを組み、燃えながら藻掻いて叫ぶ体のアニマトロニクスを作り、焦げた肉が吹き飛ぶ後に残る骨を仕込んでいる。こんなシーン、昭和ゴジラだったら最高の見せ場である。それを「まあ、やる以上はちゃんとやりますか」という感じで、やっている。こりゃあもう、日本の特撮映画は勝てっこないなと痛感したものだ。

こんな、もりもり盛り上げる見せ場の連続に食傷してしまわないのは、登場人物たちの行動の理由、理屈がきちんとわかるからだ。なぜこうするのか、こうしないといけないのか、こうできないのか、こうしてしまうのか、全部明確である。聞いてるか、マイケル・ベイ

 

『T2』は一作目とは違い、ホラーではなくなっているわけだが、一番怖いシーンはサラ・コナーがマイルズ・ダイソン邸を襲うシーンだ。ここは一作目に似た感触がある。そこで恐怖の対象になっているのが、前作は襲われる側だったサラというところに面白味を感じる。やっぱり映画では、恐怖に触れちゃうと、その側に取り込まれるんだね。

 

そもそもジャンルが違うということもあるけれど、一作目の『ターミネーター』は少なくとも「現代の映画」には見えないと思う。まずルックがあまりにフィルムっぽいので無理もない。しかし、もう30年近く経っても『T2』はまだ「現代の映画」っぽい。それは、ハイパークリアな映像であることはもちろん、これ以降の映画がこの映画を参照して作られていったからだろう。見せ場の質ではなく、量だけは倣ったような映画がいかに多いことか。

近年の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』にも、参考にしたと思われるシーンがあったしね。なによりも、「登場人物がもたもたしてない」「登場人物に(サスペンスを作るための)バカがいない」という素晴らしい美点も、この映画から受け継いだものではないかと思った。

『トランスフォーマー/最後の騎士王』では満たされないロボット欲

IMAX3Dで見てきた。

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ネタバレも何もねえ……ストーリーはほぼないも同然だ。なんとなく派手なシーンがいくつもあって、それらを繋ぐ地味なシーンが、それでもできる限り派手なように撮られている、という感じの映画である。長く長く週刊連載をしていた『キン肉マン』レベルの辻褄の合わなさや説明の足りなさが2時間半の間にめくるめく早さで、眼筋がついて行けないほどのディテール過多の映像で繰り広げられる。もし、この映画が脚本通りに撮られているのだとしたら、脚本を書いた人は脳をどこかで落としてきたのではないか? と思いながら見ていた。

そのレベルのストーリーだから、文句を言っても仕方がない。編集もガチャガチャであり、そっちに文句を言うのはさらに野暮だし徒労だ。問う価値があるのは「静止画にしたときの映像のクオリティ」がどうだったか、のみだろう。その面では、とても綺麗でした。お金をかけただけのことはあり、最高に入念に作られていると思いましたよ。

あ、問いたいことはもう一つあった。というかそれが俺にとっての本題だ。出てくるロボットたち(このフランチャイズではオートボットと言うんですか)のデザインである。

あれですが、あんなに細かく分割されて変形するのだったら、もう元がなんであろうがどんな形にだって変形できるだろう、と前から思い不満を感じていた。オプティマス・プライムなんか、一作目には胸のあたりにあった窓ガラスがどこにもなくなってるからね。

例えば、極小の積木で作ったスーパーカーがロボットに変形したとしても別に何も興奮や感動などしないだろう。さらに極端に言うと、粘土で精巧にスーパーカーを作り、それをこね直してロボットにしたって「ああ、形が変わったな」としか思えないはずだ。そんなことが起きている(前から)。

そして、ロボット自体、ほぼ顔の造形が人間なのがまた感興を削ぐ。

(下は前作「ロストエイジ」の時のハウンドだから、今に始まったことではないのだが……)

 

俺は『トランスフォーマー』シリーズにロボットを期待して見に行ってるんだが、毎回期待を裏切られて帰って来ている。もう、だいぶ前からその期待は満たされないし、脚本も演出もグダグダでちっとも面白くないとわかっていて、それを確認しに見に行っているようなものだ。わかって行っているのだから、文句を言うのが間違っているのだろう。

しかし、しかしですよみなさん!(ダン! とテーブルを拳で叩いて) それでもロボットがあんな顔じゃあほとんど「銀色のうろこが付いた人間」やないかと思うんですよ私は! オプティマス・プライムもどんどん普通に口が付いた顔になってきてるしなあ(1作目の時は、まだ「顔の下の方のアゴに近いところにある、口かもしれないけれどそうじゃないかも知れない薄い切れ目」がかすかに動く、みたいな感じだった)。

もう少しロボットというものの、そして出来ることならば変形ロボットの妙味みたいなことをもう一度考え直して次の作品は作っていただきたいと思った。バンブルビーは頑張ってるよなあ。

そして、こっちはもうそんなに強くは期待しないけれど、脳が付いてる人に脚本を書いて欲しい。

『ターミネーター』30年目の真実

もちろんタイトルはウソ、大げさ、紛らわしいタイプのものです。

 

立川の極音上映で見てきた。もしかすると、というかかなり高い確率で、スクリーンで見たのは初めてだ。日曜洋画劇場で見たり、それ以降はレンタルで見たり、午後ロー落ちした時に見たりしたのだろう。

映像、音響ともに良好で、非常に楽しめた。そして、何度も見ていたにもかかわらず、今回初めて気づいたことがあった。

もともと、『2』とは違って、ホラー演出を基調とした映画だとは思っていた。それは間違っていなかった。

一人で出かけようとして、だだっ広い駐車場に一人赴くサラ・コナー。引いたカメラが全身を捉え、周りに誰もいないことを強調するとともに不安な音楽が被さり、あたりをキョロキョロとうかがうサラの顔のアップになる。何事も起きず、スクーターで出かける彼女の後を、少し遅れて血走った目の男が車で静かに追い始める……。

そんな感じで、ジャンル映画らしい演出を丁寧に積み重ねていく。SFの皮を被ったホラーなのである。

今回見て、全く見落としていた、あるいは記憶から完全に抜け落ちていたのは、以下のくだりで映っていたもの、またやりとりの意味である。

シュワ演じるところのT-800が、どこかの部屋に入り込んで己の傷を修復するシーンがある。修復といっていいのか、怪我の部分を切り取って捨てるというべきか、指先が動きにくくなったのを、腕の肉を切り開いて中のケーブルを直し、眼球を取り去ってレンズを露出させる。

その部屋から銃を持って出ようとする前、廊下に来た掃除夫らしい男に、「何か腐ってるのか? とんでもない匂いだ」みたいなことを言われる。T-800は「Fuck you, asshole」という返事をロールプレイングゲームのコマンドよろしく選んで答える……というところは覚えていた。ロボコップでも似たようなことをしていた、固いギャグシーンである。

俺はその“答え”は覚えていたが、掃除夫がかけた言葉はすっかり忘れていた。そして、答える前のT-800の顔、もろにダミーヘッドなのだが、そこにハエがとまっているということは完全に見落としていた。

 

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この映画におけるダミーヘッドの出来はあまりよくなく、高校時代に友だちと、目玉をくりぬいたシュワの(ダミーヘッドの)顔色があまりに青白くなっているので、

「そんなに痛いならやらんとけばええのにな!」

なんつってゲラゲラ笑ったりしていたのだ。しかしこの顔色、ちゃんと演出されていたものだった。

記憶が混同されていたのだけれど、このダミーヘッドが出てくるのは自分で目玉をくり抜くシーンより後のシーンである。くり抜いているシーンではさほど顔色は青白くなかったのだが、映画内で時間が経つと、T-800の顔色はどんどん青白くなっていくのである。ハエがたかっているのはつまり、T-800の皮膚が腐っていっていることを描写していたのだ。

そして、そこから自ずと気づかされるのはT-800がゾンビのバリエーションであったということだ。ダメージは与えられるが、殺そうとしてもなかなか死なない。体が損傷してグロくなり、嫌な見た目になる。感染しないけどね。あと、集団でもないけどね。

エンドスケルトンになっても足を引きずりつつ追いかけて来、下半身が千切れてからも上半身だけで這ってくる姿は、ゾンビのイヤさ怖さとほとんど一緒である。

そのことに全然気づかなかった……あるいはすっかり忘れてしまっていたのは、驚異の娯楽大作『2』が違うジャンルの映画に変貌していたからかも知れない。

「天才『パート2』監督」(2作目をメチャクチャ面白く撮ってしまう)で、しかもそれを別ジャンルにしてしまう癖があるジェームズ・キャメロンについては、またなにか気づいたことがあったら書くかも。

『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』の極薄感想

ネタバレなしです。

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大変楽しい映画でした。

とにかく展開が早い。トムがどういう人間なのか(なかなかの小悪人だし、軍人にしては弱さが強調されている)は最低限わかるように出来ているのはいいとして、「これどうなっとるねん」という疑問はスピードにまかせてぶっちぎり、飛行機墜落直後にピンピンしてるのも、ろくに説明しないまま駆けだして、あとから「ははあ」とわかってくるというやり口である。

意外だったのは、「呪われた」を意外ときちんとやっているところ。「どうせちょっと怖いだけでアクション映画なんだろ」と思って見に行ったけど、予想よりはずっとちゃんと呪われていた。しかもトムが。

この映画でやっているタイプの「呪われた状態」は長い間映画で見ていなかった気がする。もちろん、呪い自体は『リング』とか『呪怨』とかでたっぷり見ている。しかしこれは、かなり昔のドラキュラ映画で見たようなタイプの呪いだ。ネタバレしないとなるとこういう言い方にとどまってしまうが、懐かしい。俺、子どものとき、こういう呪いを怖いと思って日曜洋画劇場のドラキュラ(の何か)を見ていたなあ。恐怖に魅惑される怖さと言いますか。

と、書くと凄く怖いみたいだけど、ほとんど怖くはない。粉っぽいゾンビが少し新鮮な程度のよくあるアクションホラーである。トムがそういうのに出ているのが特別感があるとはいえ、この感想に負けないぐらい薄味な一本と言えよう。

じゃあなんで楽しいのか? この映画の評価を(俺にとって)2割増ししている点が2つある。1つは、何と言ってもソフィア・ブテラ。『キングスメン』に出てた、義足の殺し屋の彼女である。

出てくれるだけで嬉しくなる。

 

もう一つは、これから始まる「ダーク・ユニバース」を感じさせる、ラッセル・クロウの役。ハ○○か! って、みんな言うと思うよ。予告では何も言われてないから(一応は)伏せるけれど、『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』を思い出した(見てない&読んでないで言う)。クロウは、『ナイスガイズ!』も良かったし、復調している感がありますね。

『メアリと魔女の花』の平たさ

多分面白くないのだろうと思いながら見たら、予想以上に面白くなかった。

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米林監督にたいして悪感情は持っていない。

…と言うのは、人情論だ。希代のエキセントリック老年である駿の下で辛い思いをしてきたアニメーターに幸せになって欲しいというような気持ちである。作る作品が面白いと思ったことは残念ながらない。アニメーターとしての腕は、申し訳ないがよく知らない。庵野秀明とか金田伊功とか友永和秀みたいなキレキレの作画をしているという印象がなく、噂も聞かないのでわからないのだ。

とはいえ、この映画を見ていて、時々俺は笑った。それは、「うわあ、ジブリっぽい(笑)」と感じたときだ。似ている描写が頻出することは、見たみなさん誰もが感じたことだろう。ジブリ前の高畑、宮崎作品も想起させるところがある。列挙すると長くなるけど、

・主人公の赤い髪→『赤毛のアン

・魔女→『魔女の宅急便

・空中に浮かぶ島、建物→『天空の城ラピュタ

・最初に仲違いする男友達→『魔女の宅急便』『赤毛のアン』『アルプスの少女ハイジ

・お手伝い(ここは女中というべきか)の老女→『魔女の宅急便

・魔法が発現するときの、粘度を感じさせる光→『天空の城ラピュタ

・エンドア大学の腹に穴が開いたロボット→『天空の城ラピュタ』のロボット兵、あるいは『さらば愛しきルパンよ』のラムダ

・崩れたエンドア大学下の木の根→『天空の城ラピュタ

・服の中からにょろにょろ出てくる魚的なものの大群→『崖の下のポニョ』

 

果てしなく挙げられる。が、別にそれ自体は問題ではない。実際、俺も見ていて笑ったぐらいだ(冷笑に近かったけれど)。それで面白くなっていればいいわけだ。

しかし辛かったなあ。ホウキの番をしているらしい人語をまくしたてるネズミ。小日向文世感満点の、いかにも「小難しい専門用語を話してます」的な話し方をするマッド・サイエンティスト。「ウキー!」とか言っておどけて見せる猿。校長役の塩沢とき

ジブリっぽさにくらまされていた目が慣れて、しばらくして気づいたのは、「これ、子どものときにたくさん見た、勲と駿以外の全くつまらないアニメにそっくりだ」ということだ。

特に思い出したのは、『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』のことである。別に話が似ているわけではない。と思う。見ていないのだ。だから、「最もつまらない作品」としてこれを挙げているわけではない。

俺が思い出したのは、確か予告で使われていたはずのこのシーンだ。

youtu.be

(全編YouTubeで見られるとは…)

 

『メアリ』のここに似てるなーと思った。

www.youtube.com

(もちろん本編ではもっと長くやってる)

 

追ってくるものが、手とか鳥の足の形になることが面白いと感じるセンス。それが掴もうとしたとき主人公たちがフッとスピードを上げてすり抜ける時のスリルのなさ。当時の手塚治虫が、憧れの(リミテッドではない)フルアニメーションに挑戦するも、「カートゥーンみたいだ」と言われてしまった、そんなセンス。

展開をはしょってここから飛躍した感想を書いてしまうが、この2つのシーンが似ていることから、俺が『メアリ』に感じたのは「平たさ」だということに思い至ったのだ。

『2772』は、俺が記憶していたよりもずっとずっと動いている。絵も意外にきれいだった。ただ、その動きはまさに「カートゥーン的」で、平面的なのだ。画面の中にバーチャルな三次元空間が出来ているわけではない、と感じてしまう。

『メアリ』のアクションも(そして舞台となる場所の使い方も)、駿のパクりというには、あまりに平たいのだ。やはり駿の空間把握力(&再現力)が図抜けていたのだろう。マロ、お前は何を学んだんだ? と言いたくなってしまうが、それは酷な言い方すぎるかもしれない。

ラピュタ』や『カリオストロの城』を見た人は、男なら誰でもあの“高所感”に必ずや玉ヒュンしたはずだ。女性もそれに準ずる感覚を覚えたことと思う。『メアリ』にそれを感じた人はいただろうか?

そんな平たさ、言い換えれば「奥行きのなさ」が、アクションシーンにとどまらず、人物描写やストーリーなど、あらゆるところにきっちり反映しているのが、実に、実に辛いところだと思った。