書き逃げ

映画、音楽、落語など

志村けんが死んだ日

盛り込みきれない敬意と歴史に残る人物であるという認識ゆえに、敬称略

志村けん

 

驚くほど悲しい気持ちになり、嗚咽してしまった。出かける前のシャワーを浴びながらしばらく泣いた。
それは多分、Amazonプライムに「8時だョ!全員集合」が入っていることに少し前に気づき、ちょうど見直していたところだったからだろう。
70年代前半当時、もちろん家にビデオデッキなどはなかった(HDDレコーダーは概念すらない)。だから一回しか見たことがないコントやネタなのだが、驚くほど覚えている。というか見ていて思いだした。幕間の歌野コーナーに置ける井上順の、歌っている途中でしゃがみ込む振り付け(?)まで覚えていたほどだ(曲はさすがに忘れていたが)。幼稚園児だった俺は、いかに「全員集合」を真剣に、集中して見ていたのだろうか。
今見ると、笑いの種類はもちろん古い。しかし、志村をテレビでちゃんと追わなくなっていた俺がぼんやり持ってしまっていた「志村はボケ役」というイメージは全然間違っていた。
桜田淳子とのコンビによる傑作、夫婦コントにおける志村のツッコミのタイミングは、水も漏らさぬ的確さだ。しかもタイミングのみならず、テンションの上下も完璧にコントロールしている。桜田も、コントに対する勘が優れていたのだろう、“浮世離れしたお嬢さんぽい嫁”演技から志村を追及する口調への転換が見事だ。

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当時はもう、ハチャメチャでアバンギャルドな面白さだと思っていたが、今見ると実に「板の上で鍛えられ、磨かれた芸」だと感じる。観客の反応にあわせた間の取り方が素晴らしい。
そんな古典的芸人のスタイルからはみ出しているのは、志村のふてぶてしい目つきだ。オープニングの半被姿で入場するときの、「こんなことしたくねえんだがな」と言わんばかりのニヤニヤと拗ねが混じり合ったような若く反抗的な顔が魅力的だ。幼稚園児だった俺は、この顔も志村けんという存在の魅力の一部としてちゃんと受け取れていただろうか。

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70年代前半に生まれた俺(たち)にとって、志村は生まれて最初に認識したお笑いスターだった。ぶっちぎりであり、他と比べられる存在もいなかった。
幼稚園で一緒の組になったカジヤマくんに、
「全員集合の坂道コントを見ると、笑いすぎて息が出来なくなって辛いねん」
と話したとき、その対策として、
「俺は泣くことにしてる。泣くと息が出来るようになるで」
という方法を得意気に教えてもらったことを覚えている。命の危機を感じるほど圧倒的に可笑しく、完全に心を摑まれていたのだ。

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スターだった、というのは大げさではなく、当時の俺たちが子どもだったからにしても、志村が実際はどういう人間なのか、ということは全くよく分からなかった。
志村康徳が演じている「志村けん」しか見せてもらえなかった。いわゆる「素顔」がどういうものなのかを知る機会がなかったのだ。
「全員集合」や「飛べ!孫悟空」などの番組に出ている以外、トーク番組などで自分の考えを話すなんてことは本当になかった。私生活はまるで明かされず、よくいう「往年の映画スター」的な存在だったのだ。「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」で、スタジオトークをしたときは「えっ?」と思ったぐらいだった(そして、そういう「素のトークが苦手なんだな」ということもよくわかった)。
そのせいで、競馬のノミ行為で「全員集合」を謹慎するという時の記者会見は、「見てはいけないもの」感が強まった。むきだしの志村康徳が、反省というより怯えきった顔で記者の前でうつむいているのは、悲しすぎる姿だったのだ。

もちろん、志村は後に「素のトーク」もするようになり、家族と(お母さんと)一緒にカメラの前に出るようにもなる。「素顔」はどんどん明かされた。だから、今の人にとってはそれほど強烈で謎めいた(と、感じていたのは俺だけかもしれないが)存在だったことはピンと来ないだろう。

確実に俺のお笑い観の基礎を作った存在だし、ボケ、ツッコミ、リアクション(タライが落ちてきた時なんか絶品)など、全てが超一級のコメディアンだった。「シュールな発想」という点では後進に劣る点があるかも知れないが、演者としての卓越性は歴史に残るだろう。

悲しんでいるのは繰り返すまでもない。だが、新コロナで死んだことは、彼を歴史に刻む一つの要因になったと思うのだ。
スペインかぜで死んだ村山塊多コレラで死んだ安藤広重、第二次大戦で戦死した沢村栄治のように、今われわれが直面している厄災を振り返るとき、いつも志村けんのことを思い出すことになるだろう。そして、その死が発した警告に気持ちが引き締まったことも思い出されるはずだ。
もちろん、もっと長生きして大往生を遂げてほしかった。しかし死は思い通りになるものではなく、実際に迎えた死に対してわれわれが思いをいたすより仕方ないのだと思う。