書き逃げ

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『スパイダーマン:ホームカミング』かなり楽しめるが、キートンの怒りは…。

品川のIMAX 3Dで鑑賞。

www.spiderman-movie.jp

 

かなりよく出来ていて、楽しめた。ぺちゃくちゃ喋りまくる小僧っ子であるところのピーター君、イヤな感じになる可能性もあったわけだが、トム・ホランドの好感を持てる演技でどうしても感情移入してしまう。これでほぼ、この映画は成功を確定させたようなものだ。

(これは余談なのだが、スパイダーマンの頑丈さってどれぐらいなものなのだろう? ハルクはどんなことがあっても死なないし、傷つかないのだと思う。アイアンマンも、アーマーを着ている限りは果てしなく大丈夫そうに見える。でもキャプテン・アメリカは車にはねられたらキツそうだ。俺はスパイダーマンもそれぐらいかと思っていたのだが、この映画ではかなり丈夫ですね。ヘルメット的なものがなくても、建物崩落の下にいても大丈夫だったわけだから)

 

それはよくある引っかかりとして、今作に感じる、そして問うべき一番の問題は「ヴィランの動機が真っ当な場合問題」だろうと思った。

マイケル・キートンが好演するヴィラン「バルチャー」は、要は中小企業の社長である。アベンジャーズが暴れて廃墟になった地域を片付ける仕事を請け負い、そのために人を多く雇い、トラックも買った。

それを、「異星人の落とし物がいっぱいあるから」という理由で、スターク・インダストリーと政府の合弁事業に仕事を取られてしまう。これでキートンが怒るのも当然である。社員と我が身、家族の生活が立ち行かなくなるのだから。

「富裕層へ富が集中すること」への怒りも、キートンは語っていた。正当な怒りだと思うし、富裕層を代表するところのトニー・スタークが「善玉」なのか? という疑問にも通じる。結構大事な問題提起ですよね。「マーベルシネマティックユニバース」を“庶民の娯楽”として受け取っているわれわれ庶民にとっても。

であるにも関わらず、「ヴィランの動機」という形で明確にテーマとして提示されている「富裕層への怒り」が、この映画では全く解消されないのだ。キートンはついに、アイアンマンと戦わない。パシリ、よく言って一兵卒のピーター少年が代わりに、トニー・スタークに認められたいという動機で戦ってしまうのである。『仁義なき戦い』か? 広島代理戦争か!? 金子信夫には絶対タマは当たらんのか。

キートンの拳は、少なくとも一回はトニーに当たり、トニーに血を流させ、反省させるべき話だと思った。いや俺もね、別にこの映画で貧困問題を解決しろとは言うてませんよ。ただ、トニーは少なくとも己の組織が、中小企業の経営を圧迫したことを劇中で知らないとおかしいだろうと思うのだ。

知って、痛い目に遭った上で、トニーが基金を設立するとか民間に業務を委託するとかいった選択をすれば俺は大体納得した。ちょろい納得だな、我ながら。

あと、なんでトニー・スタークは役名で、マイケル・キートンは役者の名で書いてしまうのだろう。