書き逃げ

映画、音楽、落語など

もう1つ、『君たちはどう生きるか』で、指摘されてないこと

もう1つ、自分は大いに気になったけど、あちこちの考察などで触れられてないなと思った点があった。ストーリーについてのネタバレではないけどれ、ディテールについて触れます。

 

キリコが住んでいる船(のような建造物?)の甲板のことである。ワラワラが天に昇っていくところをキリコと一緒に眺めた、海面をかなり下に見下ろす、大きな船の舳先のようなところ。あそこは、床が木だということを印象づける足音のSEが入っていた。板の上を歩くときの音がしていた。

しかしその後、國村隼の老ペリカンが死んだ後、遺骸を埋めるためその甲板に穴を掘ると、そこは土なのだ。え、土? 海の上にある船の甲板の下が?

これ、今までの宮﨑作品では見られなかったことだと思う。幻想シーン(例えば『ナウシカ』の「ランランララランランラン」のシーンなど)は別として、これまでの作品では構造のあるものはそれらしく描かれてきていた。質量も感じられたし。

もしかしたら古い古い建物だから端っこの方には土が溜まり、枯れ葉が腐葉土になったりして……ということも、がんばったら考えられるけど、そうではなかったと思う。埋めたところが床より盛り上がってはいなかったし。

 

そのあと、同じ甲板に穴を空け、アオサギ男と下の世界に行ったりしたから(だったと思うけど、違ったっけ?)、そもそも異常な空間てことなのかもしれない。

もちろん、あるところを掘れば土があり、あるところを掘れば広い空間が現れ、また別のところを掘るとデカい生き物の体内に繋がっている…みたいなことはあったっていい。異世界だしね。でも、「そういう変な甲板だ」ということを、天丼ギャグなんかを使いつつ見せたりしないと、ただ辻褄が合ってないだけだ。こっちが「考察」して理解しないといけないようなこととは思えないし。

それに、そんなにヘンテコな床なのであれば、いろいろと面白く見せられるはずなのを、まったく活かせてないのはもったいなさ過ぎる。

 

これは駿が異世界を(異世界でも、または異世界だからこそ)「一定のリアリティを以て描く」ということが徹底出来なくなったことを示しているんだと思った。「まあ、異世界だしな」という程度で、その場面で起きている変なこと、面白いこと——それはつまり駿自身が絵コンテに描いていることなわけだが——に敏感に反応できなくなっているのだと思う。

巨匠晩年の作品ということで黒澤明の『夢』を想起してしまうのは、そういう「ここは異世界(夢の世界)だから、辻褄が合ってなくても良しとしますよ(そう見てください)」的な姿勢を感じるからかもしれない。両者ともかつて、ハイレベルな娯楽アクション演出を見せたという共通点があるから余計にね。