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書き逃げ

映画とか音楽とか。

わたくしにとっての美

オリンピック レスリング 伝説 吉田沙保里 ヘレン・マロウリス

いい話を知って幸せになった。

efight.jp

 

「私は何年も吉田選手のことを研究しました。まるで彼女の頭の中に潜り込むように、ただただ彼女が何を考えているのか知ろうと思いました」と振り返っている。

 しかし、マロウリスは勝利の喜びを語る一方で、吉田を研究すればするほど、ライバル心とは異なる感情を抱いたことを明かしている。「対戦相手の研究をしていると、その相手に対して敵対心を抱くと思います。でも、吉田選手に関してはそういった感情が芽生えませんでした。彼女から湧き出るレスリングに対する愛情や、彼女がどれだけ競技に自分自身を捧げているかが分かりました。私は彼女に対して深い尊敬の念を抱いていましたし、言葉で上手く説明できませんが、彼女にとても感化されました」と話した。

 俺たちは大抵、世俗的な成功・報酬について考えている。それが手に入りやすいものかどうか、手に入りにくいときは、それでも努力するだけのリターンがあるかどうか、確率や期待値なんかを大して良くもない頭で考えている。そして、その実現において邪魔になる存在がいたりしたら、その相手を自分にとって都合良く「敵」にしたり乗り越えるべき「壁」にしたりして、自分を鼓舞したり、失敗したときにはその存在を言い訳に取り込んで、「あんな凄い奴と戦えた自分も大したもんだ」みたいなことを匂わせたりする。

しょうもない。どうしようもないなあと我が身を振り返って思うのだが、自分への反省として、出来れば「両取り」を狙うことはしたくないと思うのです。話が逸れてるな……。

話が逸れついでに……。相手を絶対に負かしたいと思っていたはずなのに、負けたらすぐに「いや、あいつと戦えただけ、俺も大したもんだ」みたいにあっという間に自分を楽にするようなワードをあらかじめ用意しておくようなことはしたくないな、ということです(なんかもしかして五輪出場した選手をなじってるみたいになってないか? いや、これは自戒ですよ本当に)

 

そういうわたくしのようなウジ虫の如き妄念とは違い、アメリカにおいて社会的に報われることが少ないレスリングという競技で、吉田という「敵」を、知るにつれ尊敬の念を抱いたというところに、ある種の美を感じるわけです。三国志か!? 関羽に対する曹操か!?

つまり、吉田を「敵」ではなく「憧れ」あるいは「目標」としてとらえた、マロリウスにそういう視点を持ちうるキャパシティーがあったこと、吉田もそう見られるに足る存在だったというところに美を感じるんでしょうね。

(お酒飲んだ状態で書いたのでおかしいところがあったらすいません)