書き逃げ

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『メアリと魔女の花』の平たさ

多分面白くないのだろうと思いながら見たら、予想以上に面白くなかった。

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米林監督にたいして悪感情は持っていない。

…と言うのは、人情論だ。希代のエキセントリック老年である駿の下で辛い思いをしてきたアニメーターに幸せになって欲しいというような気持ちである。作る作品が面白いと思ったことは残念ながらない。アニメーターとしての腕は、申し訳ないがよく知らない。庵野秀明とか金田伊功とか友永和秀みたいなキレキレの作画をしているという印象がなく、噂も聞かないのでわからないのだ。

とはいえ、この映画を見ていて、時々俺は笑った。それは、「うわあ、ジブリっぽい(笑)」と感じたときだ。似ている描写が頻出することは、見たみなさん誰もが感じたことだろう。ジブリ前の高畑、宮崎作品も想起させるところがある。列挙すると長くなるけど、

・主人公の赤い髪→『赤毛のアン

・魔女→『魔女の宅急便

・空中に浮かぶ島、建物→『天空の城ラピュタ

・最初に仲違いする男友達→『魔女の宅急便』『赤毛のアン』『アルプスの少女ハイジ

・お手伝い(ここは女中というべきか)の老女→『魔女の宅急便

・魔法が発現するときの、粘度を感じさせる光→『天空の城ラピュタ

・エンドア大学の腹に穴が開いたロボット→『天空の城ラピュタ』のロボット兵、あるいは『さらば愛しきルパンよ』のラムダ

・崩れたエンドア大学下の木の根→『天空の城ラピュタ

・服の中からにょろにょろ出てくる魚的なものの大群→『崖の下のポニョ』

 

果てしなく挙げられる。が、別にそれ自体は問題ではない。実際、俺も見ていて笑ったぐらいだ(冷笑に近かったけれど)。それで面白くなっていればいいわけだ。

しかし辛かったなあ。ホウキの番をしているらしい人語をまくしたてるネズミ。小日向文世感満点の、いかにも「小難しい専門用語を話してます」的な話し方をするマッド・サイエンティスト。「ウキー!」とか言っておどけて見せる猿。校長役の塩沢とき

ジブリっぽさにくらまされていた目が慣れて、しばらくして気づいたのは、「これ、子どものときにたくさん見た、勲と駿以外の全くつまらないアニメにそっくりだ」ということだ。

特に思い出したのは、『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』のことである。別に話が似ているわけではない。と思う。見ていないのだ。だから、「最もつまらない作品」としてこれを挙げているわけではない。

俺が思い出したのは、確か予告で使われていたはずのこのシーンだ。

youtu.be

(全編YouTubeで見られるとは…)

 

『メアリ』のここに似てるなーと思った。

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(もちろん本編ではもっと長くやってる)

 

追ってくるものが、手とか鳥の足の形になることが面白いと感じるセンス。それが掴もうとしたとき主人公たちがフッとスピードを上げてすり抜ける時のスリルのなさ。当時の手塚治虫が、憧れの(リミテッドではない)フルアニメーションに挑戦するも、「カートゥーンみたいだ」と言われてしまった、そんなセンス。

展開をはしょってここから飛躍した感想を書いてしまうが、この2つのシーンが似ていることから、俺が『メアリ』に感じたのは「平たさ」だということに思い至ったのだ。

『2772』は、俺が記憶していたよりもずっとずっと動いている。絵も意外にきれいだった。ただ、その動きはまさに「カートゥーン的」で、平面的なのだ。画面の中にバーチャルな三次元空間が出来ているわけではない、と感じてしまう。

『メアリ』のアクションも(そして舞台となる場所の使い方も)、駿のパクりというには、あまりに平たいのだ。やはり駿の空間把握力(&再現力)が図抜けていたのだろう。マロ、お前は何を学んだんだ? と言いたくなってしまうが、それは酷な言い方すぎるかもしれない。

ラピュタ』や『カリオストロの城』を見た人は、男なら誰でもあの“高所感”に必ずや玉ヒュンしたはずだ。女性もそれに準ずる感覚を覚えたことと思う。『メアリ』にそれを感じた人はいただろうか?

そんな平たさ、言い換えれば「奥行きのなさ」が、アクションシーンにとどまらず、人物描写やストーリーなど、あらゆるところにきっちり反映しているのが、実に、実に辛いところだと思った。