書き逃げ

映画、音楽、落語など

『伝説のライヴ ─HOW THE WEST WAS WON─ <2018リマスター>』リマスターと降霊

前に買っていたのをようやく聞き始めている。

f:id:shigerumizukiisgod:20180509012929p:plain

 

実際は輸入盤なのだけれど、ちゃんとアナログも付いてる【スーパー・デラックス・ボックス・セット】を買った。よく訓練されたツェッペリン信者なので、全アルバムのスーパー・デラックス・ボックス・セットを買って持っている。一財産使ってしまったわけだが後悔してない。何しろこれを聞くためにスピーカーを買ったのだから。……ってそれはもっと信者ぶりを露呈しているだけやないか。

これは2014年から始まったツェッペリンのアルバムリマスター版全部の話になるが、結構お高いスピーカーを通して聞くと、確かにちょっとはっとするほど音が新鮮になっている。もちろん、古い録音だということは分かる。ピカピカに磨ききってるわけではなく、当時の録音の限界は感じさせる。だが、実はそれも“演出”であって、本当はピッカピッカのトゥルットゥルの音が出来上がっていて、その上に少しざらついた音を被せてんじゃないの、という疑念も持ってる。

そんな疑念はともかく、俺がツェッペリンを聞くのはほぼジョン・ボーナムのドラムを味わう、ありがたく聞かせていただく、摂取するためである。いや、それも正確じゃないか。聞いてるとついついドラムに耳が引き寄せられてしまうのだ。

目をつむって聞いているとき、うまくそういう精神状態に持っていけると、ボンゾが「今」「ここに」いて、叩いているという気がしてくる。さすがに「目の前にいる!」と言い切れるほど高性能の再生機器を使っているわけではないが、多分あるレベル以上のシステムで再生して聞けば、そう思うことは可能だと思う。

特に心が揺さぶられたのは、Ⅱの「モビー・ディック」をハイレゾデータで聞いた時だ。

f:id:shigerumizukiisgod:20180509014707p:plain

ボンゾのドラムソロが聴ける曲で、途中、スティックじゃなく手で(指で)叩いているところがある。ここで、手で叩いている時に指がドラムの革に当たるタイミングが少しズレているのが聞こえるのだ。ヒットの瞬間、片手のそれぞれ三本指が革に当たるとして中指→人差し指→薬指(順不同)と、ごく一瞬のうちだがまったく同時に当たっているのではないことが聴き取れる。

それを聴いたときに、ボンゾの存在がぐっと実体化したのを感じた。俺の部屋でボンゾの肉体が受肉し、幾分かは実際にここにいると感じた。

そしてまた同時に、このリマスターを制作している時にジミー・ペイジはどう感じただろうとも想像した。ペイジのキャリアを最高の高みに持っていった、ロック史上最高のドラマーの音が、当時よりも生々しく(本物を除く)蘇ったのを聴いて。

オカルト趣味を持っていたことのあるペイジだからといって、「俺と同様、『ボンゾがここにいる』と感じたに違いない」と言い張りたいわけではない。でも、ある意味でペイジのキャリアを「ねじ曲げた」、そのドラムプレイの威力には何か改めて感じたのではないかなと想像する。やっぱり、他のどのパートよりもドラムに気を配っている感があるリマスターなのだ。

 

ようやく最後にこのアルバム(『伝説のライブ』)の話になるが、これはライブ盤だからこそのびのびと音をきれいにしていると思う。録音は古いわけだが、アルバムになったのは2003年と新しく、その時点でもブートレグの音質との違いを見せつけるのが一つの売りだった。ノイズなどの薄皮や渋皮はその段階で徹底的に取り除かれていたので、このアルバムではより生っぽさというか、近さを感じるリマスターにしていると思った(が、スピーカーのせいかも知れないです……)。

「モビー・ディック」(LPだと3枚目のB面)は、やはりかなりの近さ。俺の部屋ではなくステージ上にいる音だけど、「今」叩いている音に聞こえて目が覚めますよ。

というわけで寝ようと思ってたのにこれを書いた次第です。