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『ターミネーター:ニュー・フェイト』“大作っぽさの正体”と、キャメロンの作家性

第一作目以外は全てリアルタイムで劇場で見てきたシリーズの最新作だ。やはりいそいそと見に行ってきたわけだが、見る前に気にかかっていた点があった。

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最近、「予告編は結構、内容の面白さを反映していることが多いなあ」というバカみたいなことをよく感じる。ストーリーの全貌は分からないにしても、画面の完成度とか緊張感などはどうしたって予告編に反映されてしまうのだろう。お察しの通り『ジョーカー』を念頭に話しているんですけどね。あれは期待感をうまく煽る、いい予告編だった(そして本編にも相当満足させられた)。少しさかのぼれば『怒りのデスロード』もそういう予告編&本編だった。逆の例は『スーサイド・スクワッド』で、予告編がよく出来すぎていた。
話を戻すと今作の予告編、実につまらなそうだった。リンダ・ハミルトンの『I'll be back』のセリフのところは間が悪く見えたし、カーチェイス含めたアクションシーンなんかも、全然躍動感がない。危険なことをしているという緊張感のない、CGでそれらしく見せようとしただけの画作りに見えた。大丈夫なのか、これ? しかし、見ないようにしていても見えてしまうネット上での評価は、悪くなさそうで、実際はどうなのか、面白かったらいいなあと思っていた。

さて、見終えた感想は「まあまあ」。多くの人もそうじゃないかと思う。ストーリーは概ね不満の生じないものだったから。
いいところは、とにかくグレース役のマッケンジー・デイヴィスである。彼女は素晴らしかった。全身の、そして顔の造形がこの役にぴったりだと思った。スラリとしていながら力強さを感じさせる立ち姿、顎のがっしりはった男前な美形ぶり(やや地獄のミサワ感あり)。アクション俳優としての彼女を知らしめるための映画だったと思う。つまり、予告編は彼女の良さをあまり見させられていなかった(予告編の宿命で、新登場の人物をフィーチャーできなかった)のが良くなかったのだろう。

「ターミネーター ニューフェイト」の画像検索結果
そして、やはり『デスロード』以降の(もちろん『アナ雪』以降の、でもある)アクション映画であることを感じた。主役に当たるグループはほぼ女性のみで、タイトルロールの男が添え物であるという点は、ほとんど踏襲と言っていい類似だと思う。そして、そのこと自体は失敗してはいない。

それで何を思ったかというと、前作である『ターミネーター2』の“大作感”はどこから来るものなんだろうな、ということだ。逆に言うと、今作は小規模感が強かった。それが絶対的に悪いわけでもないのだが、「大作っぽさがあってもいい作り」なのに、全然そう見えないことにうっすらと、でも確実に不満を感じた。
ハイウェイでのカーチェイスシーン、かなり大規模なはずなのに、ごく狭い範囲を通行止めにして撮って、車上のシーンはスタジオでブルーバックで撮り、CGを載せた感じがした。実際そうなんだろう。でも、そう見えさせてしまってどうする。
奇しくも前に『T2』について書いたとき、カーチェイスシーンがいかにも本当にやっている感じがすることに触れた。そこにあった迫真感みたいなものが、根本的に欠けていると思うのだ。

『ターミネーター2 3D』現代アクション映画の金字塔(の3D版) - 書き逃げ

まずカットをカチャカチャ割る編集は、スピーディーさを感じさせる一方で、そこで起きていることの全貌を見えなくさせるし、どっしりした感じは当然なくなる。さらにカメラの位置が登場人物にかなり近いことが多く、そこで走っている車同士の位置関係も把握できないのだ。結果、密室で(つまり基本はスタジオで)撮っている感じがしてしまう。
そういう小規模感は、実際にティム・ミラーが小規模な作品を撮っていたとき、それでも見栄えがするようにという工夫からのものかもしれない。そもそも短編アニメを作ったり、『ドラゴン・タトゥーの女』のカッコいいタイトルバックを作ったりしていた人だから、MV監督的な手つき(細かく割ることで画面上の躍動感を出すタイプ)の人なのだろう。しかし広いハイウェイを使っても、列車や徒歩やヘリコプターで長距離を移動しても、空軍の基地の中をカーチェイスしても、広さを感じさせない撮り方しか出来ないのはなあ……。
ジェームズ・キャメロンはその辺り本当に上手かったのだなと思わされたのだ。そこにあると思わせたいもののスケールは、確実に伝える。その手つきは『T2』の時はもちろん、『アバター』におけるパンドラの描き方でも一貫している。
広さや高さを感じさせたい時は、確実にそれを我々に見せ、伝えきる。さらに言うと、ターミネーターというキャラクターがどれだけ強いかや何が弱点かという、本当は目に見えないことまで確実に見せる。「前作から大幅にスケールアップした大作」として作った映画をいかにも大作に見せることも、当然考慮していたと思うのだ。

おかげでキャメロンのような「ごく大衆的な、面白いだけの映画を撮る監督」の、撮り方と編集における作家性(ストーリーやテーマではなく)みたいなものを考えたくなってしまった。
むちゃくちゃ優れていたり、最高に先進的な手法を生み出すとかではなく、伝えたいことを確実に伝える撮影・編集を貫く実直さみたいなものこそ、キャメロンの凄さなのかも、と思ったのである。
ストーリーの出来がどうであれ、そのシーンが持つ意味を確実に伝え、観客のエモーションをコントロールし、狙ったとおりの鑑賞体験をさせるあの手腕をこそまた味わいたいという飢餓感が生じてしまいましたよ。『アバター』の続編が楽しみになった。……この映画の感想ではなくなってるけど。

あと、いくつか不満に思ったことを。
骨格と肉に分かれて活動できる新ターミネーターの、肉側が流れだし、人体化するところの動きも、スピード感を殺すやり方になっていたなと思う。あんな風に下から積み上がるように、「片膝着いた人間の形」をかたどってからようやく動き出し、戦い始めるなんておかしいだろ。別にその描き方がフレッシュなこともないから、戦うことについてよく考えずに演出しているとしか思えなかった。適当な形でも何でも動き、攻撃しながら途中でちゃんとした人間型になるべきだろうが。
その新ターミネーターを演じたガブリエル・ルナが、T-1000を演じたロバート・パトリックと比較して、まったく「良さ」を発揮できてないのも気になった。メタリックなT-1000に対応したパトリックのひんやり冷たいルックス(を活かした撮り方)は冴えていた。しかし、ルナのルックスは、最初の舞台がメキシコということ以外に別に活かされていない。何かもっと狙いを感じさせるキャスティングか撮り方をしてほしいものだ。

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(ここからネタバレ)

ジョン・コナーがいきなり殺されるところ。あれ、俺は全く知らないでみたけど、撮り方とか雰囲気からして、あのシーンが始まった瞬間「あ、殺されるのか」と分かった。いかにもくつろいでる雰囲気とか、いわゆるフラグが立ちまくってるんだよな。だから多分分かっててそうしてるんだろうと思うが、なんでだ? もっとビックリさせてくれてもいいだろうに。こういうシーンこそキャメロンがやってればなあ、と思ってしまうわけだ。