書き逃げ

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『トイ・ストーリー4』フォーキーの恐怖とウッディの幸福

夜遅くの回だが、公開初日に鑑賞。楽しみな気持ちだったのは否定できない。ネタバレありです。

https://www.disney.co.jp/movie/toy4.html


最初に、見終わってから思ったことを書くと、
「結論はとても納得。だけどそんなに……少なくとも『3』ほどは面白くない」
「でも、『3』もこの程度だったのかな? 3を見直したい」
「『2』を見てないのは大失敗だった!」

傑作完結編とされている(いた)『3』の蛇足になる恐れがあるのに作られた『4』が物語るのは、当然ながら『3』で語りきれなかったことだ。ということを、見始めてしばらく経つとわれわれは痛感することになる。
『3』を見て、
「これはすごいラストだ! 完璧な解決の提示!」
と思っていたのに、実はそうでもないんじゃないか? ということをまざまざと見せられるのである。古いおもちゃを譲り渡された子どもが、前の持ち主と同様の愛情をそのおもちゃに注ぐわけはない。そりゃそうだ。その子にも好き嫌いがある。
これはある意味、
「二人は結婚して幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
で終わったおとぎ話の、その後の夫婦生活のリアルないさかいや倦怠を見ることに似ている。えー、ウッディがないがしろにされちゃうの? あんなに真面目に献身的に子どもの心配してるのに? つまり『3』が提示した解答は、あくまで一部しかうまくいかないものだということを自ら白状してしまうわけだ。これはいいことだし、非常にピクサーらしい手つきだと思う。

そして登場するフォーキーという雑な手作りおもちゃ。これにはかなりギョッとさせられた。『3』で、ウッディたちおもちゃが覗く“地獄”からやって来た……というのはウソだが、ウッディたちが心底恐怖した「無」から生み出され、また「無」に帰りたいと無邪気に自殺を繰り返す存在。ウッディの抱える葛藤も、結局は「無」になることが究極の解決なのではないか? ということが示唆される。
「ゴミってひびきは優しい。あたたかい」
みたいな、ウッディを死に誘う甘美な言葉は、見ていてぞわっとした。無邪気な話し方だけに幼児退行の心地よさまで含まれていて、最高に恐ろしい自殺教唆とは、こういうもんではないか、と思った。

なので、このフォーキー(が体現している問題)にウッディがどう対峙するか、それを乗り越えるか、ということがこの映画では最大の論点になるのだろうと俺は思った。が、そうはならないのだった。
フォーキーはなんとなく、「無」に属する者であることをやめ、おもちゃになることを選択する。いや、そう言うと語弊があるな。ちゃんとウッディの思いを聞き、ギャビー・ギャビーからもおもちゃとしての(子どもに愛されるという)執着を聞き、最後には雑な手作りおもちゃのガールフレンドもあらわれて、「ああ、僕もおもちゃなのだ、おもちゃとして子どもに愛されることは素晴らしいし、仲間もたくさん出来た」と思うまでに「成長した」ということなのだろう。その辺はさすがのピクサー(もうディズニーだけど)、描いてないわけではない。
ただ、フォーキーが体現していた恐怖の射程はそんなものではないはずで、むしろフォーキーの“危険思想”に感染したおもちゃたちがみんな焼却炉に身投げしてもおかしくないのだ。
そしてウッディは、この“危険思想”をだいぶマイルドに、前向きにした、
「子どもに好かれなくなったときには、子どもの前から姿を消してもいいんじゃないか」
という結論に到達する。
この結論そのものは、全然間違ってないと思う。肝心なところからはズレてしまっていると分かっているが、俺は泣きそうになった。

なぜなら、この映画がウッディを救おうということを第一に考えていることを感じたからだ。ウッディはおもちゃとしての至高の役割を果たせなくなった、「残念な」存在である。ウッディをその役割への執着から解放して見せることで、われわれ「残念な」ところを持って生きている人間を救う映画ということでもある。
さらにまた、いつでも献身的なウッディに罪悪感を感じていたわれわれを楽にするための映画でもある。ウッディはふと姿を消すものなのだ。大人は子どもが興味をなくしたウッディをそっと捨て、子どもは「ああ、ウッディはどこかで他のおもちゃのために活躍している」と思うことが出来るようになる。
キャラクターを救い、それによってわれわれも救うという、二重の課題を達成する離れ業をやってのけた、われわれにとってとても優しい映画。だが、フォーキーの体現している恐怖の鮮烈さがこの映画の中で突出していて、それが俺は気になって仕方なかった。なので、「鮮やかな解決」感は薄く感じてしまったのだ。
もし『5』があるのであれば、ここに向き合う話になって欲しいものだ。主役はバズで。

後は、細かく思ったこと。
・お馴染みのおもちゃたちの活躍がなかったのは残念だったなあ……。バズの活躍も少ないし。
・タイヤを釘で刺す、カーナビの声を偽装する、ブレーキをいじる……みたいなことはおもちゃが出来ることとして一線を越えてないか? これまでもこんな感じだったっけ(だから『3』を見直したくなった)。
・ウッディがボーと仲良く暮らすということより、他のおもちゃを助けるという指命を見つけるというのは、とてもいい結末。