書き逃げ

映画、音楽、落語など

『新感染 ファイナル・エクスプレス』主に顔の話をしよう。

薄い感想書きます。

shin-kansen.com

 

かなり面白い。のだが、洗練されてない頃のK-POP的な泥臭さがあって、そこは非常に惜しかった。

どうも「泣かすゾンビ映画」として話題になっているらしい。それはその通りだ。終盤、全力で泣かしにかかってきますよ。でもそのときの演出、悪く言えば「やり口」が、サビになったら半音上げで盛り上げ続けようとしていた頃のK-POP的なしつこさなのである。そこをもう少しさらっと洗練させてやってくれたら、俺は間違いなく泣いていた。脚本にまずい点は全くないと思う。シンプルな話ですからね。

あり得ない話だが、もし終盤の展開をイーストウッド演出でやられたりしたら、席から立てなくなるぐらい泣いていただろう。イーストウッドがやるわけねえだろ! それはその通りなのだが、もしそれぐらい抑えた演出でやってくれてたらたまらんかったろうなあ。

 

割と多くの人が想起するんじゃないかと思う映画があって、それは『アイアムアヒーロー』だ。言わずとしれた日本製ゾンビ映画の秀作(ということになっている)だ。ごめん、それは東洋人がゾンビやってるという意外は共通点はなかったわ。でも、俺は見ている間、どうしても脳裏にちらちらと浮かんだ。

でも、『アイアムアヒーロー』よりはやっぱりいいところが多いなあと思った。俺にとっては、ですよ。それは(今検索して名前を知った)マ・ドンソクの活躍である。

 

こののっそりしてがさつそうなおっさんね。彼がまさにそういう奴として登場して、なのに途中から大活躍するあたり、韓国映画への信頼感を持たざるを得ないのである。俺にとっては。

マキタスポーツを出していながら、さっさと退場させてしまうのが、日本製ゾンビ映画の限界なのかもしれぬ。と言いつつ、マキタスポーツの演技でずっと出られても面倒くさいかもしれなかった。

 

今作で大いに残念だったのは、細かい話だけど、ゾンビの群れの中に突っ込んでいくときの防備の仕方が雑すぎたことだ。拳にテープ巻けや、せめて。俺だったら前腕とか肘周りとかより先にそこに巻くなと思って見ていた。

 

あと、いいところは子役の顔。これも本当に素晴らしい。

 

ビリケンさん」に似ているなあと思った。

 

登場して間もなくはそんなに可愛く(見え)ない。でも、彼女が父親のどういうところに憤りを感じているのかを開示していくにつれ、そしてまた感情を露わにしていくにつれて、この珍獣っぽい顔がどんどん可愛く見えるようになっていくのである。『E.T.』みたいだな。

総じてみんな顔がいいのだ。東出昌大の黒目を小さくしたような主人公、ズルをして生き残ろうとする社長、列車の運転手、みんなどこか納得させられる。日本でリメイクして東出昌大國村隼笹野高史にしてもちょっと違うんだよなーと思う。この置き換え、結構似てますよ。ご確認いただければ幸いです。

『エイリアン:コヴェナント』愚行によって推進する話はもうやめて欲しい

ジョージ・ミラー先生が『怒りのデスロード』で挙げた成果を踏まえる気にはならんのか……。

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最初にいいと思ったところを書くと、画です。腐ってもリドリー・スコット作品、ほほうと思わせてくれます。宇宙服は前作の『プロメテウス』のほうがかっこよかったけど。

コヴェナント号の中で、低温睡眠している乗組員がケースに入ってぶら下げられているのも、「ちゃんと据え付けておけや」とは思うけれど、画としては面白い。画面映え第一の監督だからそれでいいのだ。

見ていて「なんかなー」と感じるたのは、登場人物のショボい愚行で危機的状況を生むという、よくあるといえばよくあるやり口をまた見せられてしまったことだ。一応はホラーだからこれでええという判断なのか? いや、ホラーであればこそ、真っ当な判断をしていたはずなのに(しようとしていたのに)逃れられない悲惨さに入っていくというほうが怖いし感情移入も誘えて効果的なはずだろう。

まず「おや」と思ったのは、予定とは違うけれど、人類が移住出来るかもしれない星を進路の近くに発見して、山登りぐらいの装備で、つまり宇宙服などを付けずにいきなりその星に降り立つ乗組員たちの姿だった。えっ、その過程は描かれてなかったけど、大気組成が地球に近いだけじゃなく、細菌とか未知の毒素とかないことをちゃんと調べたからノーマスクで降りたんだよね? そこははしょってたということだよね? と思ってたら、案の定鼻とか耳からなんかを吸ってエイリアンシリーズお馴染みの見せ場が始まるのである。

これ、エイリアンシリーズの中でも出色の徒手空拳ぶりである。一作目でさえ、宇宙服越しにフェイスハガーにやられてたよなあ。せめて、宇宙服で降り立ち、そこから大気組成を検査して、「毒はなさそうです」とか言うてマスク外すぐらいのことはせんといかんのでは。

で、船の医務室で無事出産されたチェストバスターがピチピチと暴れ回ると、パニクった乗務員が船内をでかい火器で打ちまくり、船をまるごと爆発炎上させてしまう。何しとるねん。あほちゃうか。

いやもちろん、現場にいたら俺たちもそうしちゃうのかもしれないよ。でも、観客が「そんなんしたらアカンに決まってるやろ」と当然思うことを登場人物がし続けるのは、こちらの見る力を低く見積もって「これで意外な展開に見えるでしょ?」と言われているようにしか見えないのだ。見えねーよ! ショボいお約束展開にしか見えない。

デビッドとウォルターの意味ありげなやりとりとか、ミシェルとかバイロンとか、古典に基づいたなんかなんだろうけど、それはようわかりませんでした。しかしこれ、元ネタがわかったら「すげえ!」と思ったのだろうか。

あと、ある登場人物に目印となる傷を付けるというシーンが意味ありげに撮られているのだが、それが全く見分けることに活かされないというのもなんなのかと思ったな。一応、理屈が付けられなくはないにしても、不要だろう。

そしてそもそも……本当にそもそも、低温睡眠の乗組員が2000人いる船、という設定からすると、オチはあれ以外ない。そうなるだろうなーと思ってたらやっぱりそうなって終わる。もう少し頑張ってひねりましょうよ……。

『エル ELLE』面白いにもほどがあんだろ!

他の映画はすっ飛ばすしかないよなー。

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エイリアン:コヴェナント』とか『新感染 ファイナル・エクスプレス』とかもね、見てはいたんですよ。でも、それは後でもいいでしょう。

ポール・ヴァーホーベン監督の久しぶりの作品ということで(ザックリ言うてますよ)、期待が高まっていた人は多いはず。俺もご多分に漏れず相当期待が高まった状態で見たのだが、本当に、ほんまに、心の底から面白かった。

フランス映画ということで、少し心によぎるのが『ブラックブック』の出来である。

いや、この映画が面白くなかったわけではないんですよ。でも、ヴァーホーベンのフィルモグラフィーの中では“トンデモ”的な面白さが強い一本だったと思う。主人公の女が「どうしてこの悲劇はなくならないの!」みたいなことを全力でシャウトする場面があるのだが、当時の俺は「え、この女そんなこと考えてたんだ?」と笑ってしまった。ヨーロッパで作ったせいで、なんかキモを外したトンデモ感に行ったのかなーと俺は思ったのだ。

『ブラックブック』で最高に良かった、そこを見られただけで満足したのは、終盤のシーンだ。棺桶に入った男をヒロインがネジを締めて窒息させて殺す。急いでいるんだけどそんなにネジは早く回せない。ゆっくり回しているうちに、中からドンドンと叩く音が聞こえなくなっていくのは、ぞわっとしてとても良かった。さすがです。

そもそもヴァーホーベンの映画で、トンデモ的な面白さがないものがあったかというと、正直ないわけだが、にしてもなんか『ブラックブック』は全体的に残念感が強かったのだ。“時代劇”をきちんと作れてない感じがしたんだと思う。

今回の『エル』は現代劇でもあるし、そういう不満は全然なかった。フランス映画っぽい、みんなが浮気、不倫、不貞をしまくる様子も違和感なかったし。ハリウッドの高カロリー映画でなくてもいいところを見せられるんだな、とオランダ時代の作品を見ていない俺は思った。

 

面白くてたまらないのは、いろんなシーンが、観客がどう受け取るか開かれている点だ。それぞれのシーンが、ヒロインを中心にして言うと、彼女が加害者なのか被害者なのか、罠にかけようとしているのかはめられようとしているのか、どちらとも言えない描写ばかりで語られていく。さすがに終盤に至ると「あれはこういうことだったのね」と思うけれど、途中は本当にどっちともとれるシーンばかりで、しかもどっちに解釈しても緊張感が素晴らしい。

例えば、ある登場人物と地下室に降りていくとき、彼女が罠にかけているのか、それとも性欲に駆られてしまっているのか、それはわからない。しかも、後になってすら「ああ、前者(あるいは後者)だったのね」と切り分けられられないままで進んでいく。1か0かではないし、両方足すと170パーセントぐらいのことのように見える。それがもう、メチャクチャに面白いのだ。

また(同じことを言ってるけれども)、ヒロインが「いい人」なのか「イヤな奴」なのかもブレながら話は進んでいく。被害者であることと「イヤな奴」であることは両立するわけだ。息子の嫁を「育ちが悪い」と罵るのは、やっぱりイヤな奴だろう。性暴力被害者であっても、イヤな奴はいるに決まっている。

善悪のあわいがはっきりしない世界を、というかそういう世界を現出させ体現するヒロインの話であるにも関わらず、おおまかには「サイコサスペンス映画」として見せてしまうあたりの下世話な手腕も素晴らしい。全然難しくない映画なのですよ。

素晴らしいシーンが本当に多い映画である。息子の嫁が子どもを産むシーン(で、ニヤニヤしている息子の黒人の友達)。向かいの家が引っ越すときにその家の妻が言う一言。ヒロインのゲーム会社が作るツカミのムービー。

「この映画が向かうところはどっちでしょうね? これ、いいんですかね? ヒロインはどうかしてませんか? フランス人の浮気好きって面白いよね?」

そういったことをほのめかしつつ、それを否定も肯定もせず俗悪なエンターテインメントにして、しかも女性の自己決定権を称揚する映画にしてしまう手腕は、ヴァーホーベンにしかないと思った。メチャクチャ傑作です。最後になるけど、イザベル・ユペールの演技と存在感、そして造形が最高。

『ダンケルク』戦争を体験した人の回想の形式

やっと見ましたよ。

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思っていた映画とは違った。雑に言うと、俺が『プライベート・ライアン』とか『ハクソーリッジ』を想像していたということだ。新兵地獄巡り映画だろうと思っていたわけだ。……あ、それはその通りだったな。俺が想像していたのは、もっと残酷エンターテインメントだということだった。そういう感じではなかった。

メチャクチャ怖いところは怖い。ドイツ軍のメッサーシュミット(戦闘機)が「キーン」という音を立てて急降下し、下にいる兵隊たちを掃討しようとするところとかね。あの場にいたら座りションベンは確実な怖さだろうという想像をしないわけにはいかない。無機物が、かなり上空に見えるだけなんだけど、確実にこちらの息の根を止めに来ているというのがメチャクチャ怖いというのは痛感した。もう、ほとんどそれでこの映画は及第点でしょう。

プライベート・ライアン』とか『ハクソーリッジ』と違ったのは、半径5mぐらいの恐怖感を追究していないことだった。もっと神の視点というか、いきなり地獄に放りこまれた新兵の立場に寄り添うような撮り方ではなかったのだ。まあ、そういう撮り方はすでに成果が上がってるしね。ノーランがなぞる必要はない。

防波堤のシーンで「一週間」、接収されるはずの小さい船のシーンで「一日」、スピットファイアの操縦士たちのシーンで「一時間」とクレジット(キャプション?)が出るのを見て、「死ぬまでの時間なのか?」と思っていたのは、先行する戦争映画を想起したからだろう。でも、そういうことではなかった。

それぞれのシーンが持っている時間のボリュームを(本当は当然長さが違うのに)編集で行き来して調整して一緒にするという映画である。俺がこれを見て思いだしたのは、まずはカート・ヴォネガットだった。それから、『キャッチ22』だった。……これ、同じことを言ってるだけなのかもしれんな。

でもまああえて続けると、「強烈な戦場を経験すると、時間を認識する感覚がおかしくなる」ということが共通するなと思ったのだ。死にかけた体験を何度も反芻して、それを現在の自分の体験と平行して体験してしまうのかもしれない。それによって、普段生きているときの通常の感覚が浸食されていくということを、戦後世代の監督がやっているのが面白いなと思ったのだ。ヴォネガットとかの小説は、体験を裏付けにした、特権的な表現かと思っていたから。

だからこの映画は、「体験を裏付けて」いるわけではないのだろう。しかし、同じ「ある瞬間」を何度も視点を変えて見ることになるという演出は、地獄感が強くてよかった。特に「一週間」パートの兵隊は、イリーガルな手段も使い、ラッキーも手助けして生き延びたのに、逃げ出した同じビーチに戻ってしまうあたりが堂々巡りの絶望感を強調していてとてもよかった。

うっすら不満なのは、IMAXの70ミリフィルムを使ったはずなのに、なんだか冴えない画になっていたという点だ。あんまり日光がない設定での撮影だから、フィルムグレインが出る状況だったということなのかな? 品川のIMAXで見たんだけどなあ。シャープさには欠けていたね。

ただ、それも含めて、CGを多用していなかったのだろうと思われる、「撮れるものしか映ってない」ところは好感が持てた。船に爆弾が当たっても、吹っ飛ばされて体がくるくる回る兵隊とかは映らないのだ。

思い切り雑に『地獄の黙示録』と比べてどちらがいいかといえば『地獄』のほうだ。『プライベート・ライアン』と比較しても『プライベート』のほうかな。でも、『ハクソーリッジ』には勝っている……かな。

少し付け加えると、時間の流れ方が違うのに、「同じ時間」が“映画上では出現する”というのは、『インターステラー』から受け継いだやり口だ。

さらに言うと、『マイマイ新子と千年の魔法』で俺が驚嘆した片渕須直監督のやり口であり、この映画も(まるまる同じではないが)成功していたから、俺は大満足なのである。

『散歩する侵略者』映画をよくわかってない人としての感想。

本当は俺も『ダンケルク』が見に行きたかったよ。

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黒沢清監督の映画、苦手なんです。それは、俺が映画について見識があっての意見ではない。見識を比較すれば、そもそも黒沢監督に叶うわけがない。シネフィルでないのは自覚しております。

なので、黒沢監督がやっていることをきちんと受け止められない、低リテラシーの人間としての意見です。

この映画でも、黒沢清監督作でよく見る「画面が暗くなる」「乗り物移動中の窓の外が変な感じ」みたいなシーンがたくさん出てくる。もちろん、それを見ると「ああ、黒沢清映画だな」と思う。でも、だからなんなのかはよくわからない。あれは「いい」のか? 「黒沢清作品だな」とは思いますよ。でも、別にそれで興奮するとか感銘を受けるとか、「いやー冴えてるな、いい画だな」とは全然思わない。

話がつまらないわけではない。が、ものすごくザックリと、ものを知らない人間として恥知らずに言うと、『寄生獣』ミーツ『美しい星』(小説未読アンド映画も見てない)みたいな感じの話じゃないかなー、かなーと思った。『寄生獣』にはかなり似てますよ。こっちは見てるし読んでるから。あと、シャマランの『レディ・イン・ザ・ウォーター』にも似てる。寓話をそのまま映像化しようとする試みですよね。

そういう「試み」自体は、ある程度わかる気がする。でも、俺が映画に期待する“ええ感じ”がすごく欠けている。俺が求める“ええ感じ”は、画面上で一定以上の本当っぽさをキープしようという意志によって維持されることなんだと思う。

これはもちろん人によって受け止め方が違うだろうけれど、俺はどうしても「画が安い」と思ってしまった。他の黒沢清作品でもそう思うことが多い。俺がこってりした画好きなんだろうな。むしろ、シャフト制作のアニメ的にもっと抽象的にしてくれたほうが受け取りやすいなと思う。……俺の低リテラシーゆえに、極端にしてもらわないと意図が掴みにくいのだ。

そしてこれまでの黒沢清作品同様、というかそれ以上に、今作では「概念」が前景化している。これも『レディ〜』との共通点だ。『レディ〜』では「ストーリー」なんて名前の登場人物を中心に据えてたからね。しかし、そんなズバリの名前をつけたからといって「もう、意図はお分かりですよね?」という体を醸し出されても、貧しい画をずっと見せられると辛い気持ちになるのだ

もっと違う手法を選んでもらうと、俺も貧しい画の凄みみたいなものに意識が行ったのかもしれない。北野武の『ソナチネ』みたいに。あるいは成功したときの三池崇史作品みたいに。今作は、寓話の含意をわかりやすく伝えたいという意図が強く見えすぎて、なのに画が安いというバランスが(俺には)辛かった。もっと言いたいことがよくわからなければ、魅力的に見えたかもしれない。

役者の演技のつけ方も、分からないではない(つもり)。が、長澤まさみが病院からの電話を受け、旦那(松田龍平)がおかしくなっている原因をウィルスと告げられ「……宇宙人じゃないんだ……。いえ、何でもないです」と話すシーンの紋切り感にはゲンナリしてしまう。あ、これは演技というより脚本の問題か。もちろん、こういうセリフは意図的なものでしょう。そこを凝らないほうがクールだという判断なのだろう。でも、俺はそうしない(そう言わせないようにする、あるいは違う言い方や表現を選ぶ)方向性を探るほうがカッコいいと思う、低リテラシー保有者なのである。

そういう、画と演技の貧しさみたいなことを象徴するのが前田敦子だろうなと思う。結構、前田敦子を好きな監督は多い印象がある(黒沢清監督含め)が、「平均以下やないか」と俺は思ってる。あれを「凄い演技」という価値観の作品はあんまり見たくないんだよなあ……。ドキュメンタリー映えはするのだろうが、フィクションの中に入れたときに特に素晴らしいとは思えない。

(以降ネタバレあります)

最後に「愛」という概念を理解して、というか盗み取って、宇宙人が“改心”する(か何か、考えを変える)という展開の安さも辛い。「愛」て。「愛」て。

今作は、わかりやすさを意図して強めたのだろう。それはもう、重々わかる。しかし「愛」て。日テレ制作だと、24時間イズムが注入されてしまうのだろうか。ケツが痒くなるよなあ……。

『ベイビー・ドライバー』観て損はない。んだけど……。

ちょっと期待しすぎたかもしれない。

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面白かった。かなり楽しめた。観に行ってまず損はしないと思う。

……んだけれど、当初の期待が大きすぎ、また途中から「お、これはすごいかも」と思いすぎてしまったせいで、後半のガッカリが大きく感じられすぎた。「すぎ」使いすぎ。

 

いいのは、なんと言っても冒頭のカーチェイス(カーアクションと言うべきか?)だ。『スパイダーマン:ホームカミング』を見たときに「『冒頭6分全部見せます』特別予告編」みたいなのをやっていたのだが、最高の見せ場はそこで見せてしまったわけだ。ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンの『ベルボトムズ』をバックに、ドリフトを自由自在に操って追っ手の裏をかき続けて逃げる様は本当に爽快。あー、ええもん見た。満腹満腹。

と言ってもそれ以降見所が全くない訳ではない。いや、全然面白いです。

『スパイダーマン:ホームカミング』かなり楽しめるが、キートンの怒りは…。 - 書き逃げ

「お、これはすごいかも」と思った点というのは、中盤から終盤に向けて予想をちょっとずつ裏切る展開が続くところだ。「えっ、約束に間に合わないんだ」「えっ、ここで自分の足で走る?」などなど。タランティーノがよくやるようなストーリーの転がし方。どうだ、面白そうだろう。いや、本当に面白いんだけど。

ついでにもう一ついいところを書いておくと、これも『スパイダーマン:ホームカミング』と同様、主役を演じるアンセル・エルゴート君がまた好感持てるんだ。無愛想で無口なイケメンがピッタリである。『キングスメン』の主役も彼がやったらよかったんじゃないか? とか思った。あ、あれの主役はコリン・ファースか。

他の役者のチョイスもよかった。エロい美人(エイザ・ゴンザレス。この映画で覚えたぞ)、それと悪役の脇役たちがとてもいい。ジェイミー・フォックスの「気づかれたくないところに絶対気がつく」イヤな奴ぶりはもちろんよかったし、ジョン・ハムもイケメンとイケボイスが活きていた。レッチリのフリーもジャンキーっぽさがよかったな。『ビッグ・リボウスキ』思い出したな。

残念な点は、実は演出のキレがあんまりないというところだ。もっさり、とまでは言わないが、ちょっと着実に進めすぎている感がある。幼少時の交通事故回想シーンとか二回もいらんやろ。基本は石橋を叩いて渡るテンポなので、武器の受け渡し現場での銃撃シーンのような疾走感が失速してしまう。

 

(ここから極薄ネタバレ。と、もう少し批判)

そして、裏切り続けたわりにはだいぶ安全なところに着地しちゃうあたり。……これは一概に悪いとは言えない。とは言え、アメリカンニューシネマみたいにしろというわけではないが、もう少しピリッとした着地はあったんじゃないだろうか。

あと、ちょっと笑ってしまったのがケビン・スペイシーの最後のくだり。『それでも夜は明ける』のブラッド・ピットを思い出した。最後にギャラが高いえらい俳優が突然出てきて“いい者役”やっちゃうみたいなね。スペイシーはずっと出てたが。

『ワンダーウーマン』ガル・ガドットを見るための映画

とても残念な出来……。

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結構期待をしていた。DCEU映画にはずっと「不発」感を持っていたので、「女性映画監督で」という限定条件が付いていたとしても(アメリカで)大ヒットしたのは凄いと思ったし、なにかキラリと光るものがあるのだろうと思っていたのだ。

見てみたら、ガル・ガドットはメチャクチャ光り輝いていた。それはもう、誰にも太鼓判を押せる。引きでの手足の長い立ち姿、かといって華奢すぎないあたりは、俺にとってはありがたい画である。顔のアップで、左の口元、右の額にある吹き出物(かな?)が撮られている(修正されていない)ことも、いいなあと思う。だって、ガル・ガドットが見たいんだもん。撮影されていたときのガル・ガドットのコンディションをちゃんと見せてくれてありがとう! と思う。

だけど、実にダルいのである。長い映画だ。141分。ガル・ガドットを長く見られる、という点を除くと、これはかなり減点になる要素だ。生まれ育った島の描写、ロンドンに着いてからのやりとり、全部もっと短く出来んだろ。

丁寧に撮っているのだ、というのは言い訳にはならない。僭越ながら言いますが、「全部を見せなくても経緯を観客に想像させ、納得させる」というのが映画の編集のキモですがな。ダラダラやられるせいで、軍の(かな?)会議で「兵隊は死ぬのが仕事ってどういうこと!?」みたいなことをダイアナが言う場面が映えない。というか、台詞で言わないといけない場面になってもうてますがな。残念ながらダサい。

そういうもっさりした演出、もったりした場面の連続により、集中力がどんどん失せるし、細かい語り口の下手くそさも気になってくるのだ。

例えば、ダイアナは自分が毒ガスに耐性があることを、どうやって確信したのか? あれは激情に駆られて毒ガス渦巻く中に入って行くとかしないといけないと思うんだがなあ。馬が可哀想だったんだろうね。

その前の、無人地帯に飛び込んでいくところも、彼女が自分の銃弾に対する攻撃の強さに相当自信が無いと、おかしいシーンになっていると思うのだ。だって、「本人が普通のアマゾンの女戦士と同じだと思ってる。違うということを母親が本人に言わない」のを思わせぶりに撮ってるからね。

もちろん、ワンダーウーマンが相当に頑丈なキャラクターだってことは僕も知ってますよ。『バットマンvsスーパーマン』も見てるから(そしてガッカリさせられた)。でも、どれぐらいの強さかってことを、当人が驚きながら自覚していく語り方にして悪いことは何もないはずだ。『スパイダーマン:ホームカミング』みたいに蜘蛛に噛まれるところを省く、という割り切りをしないで長くやる以上は、せめてその辺はきっちりやりましょうや。

『スパイダーマン:ホームカミング』かなり楽しめるが、キートンの怒りは…。 - 書き逃げ

そして、ラストのバトルが実に『BVS』的な、悪い意味でジャンプ的な、『うおー!』と叫んだら逆転できる的な展開で、本当にガッカリした。どちらがどうして勝つのかということにロジックが薄い(まるでないとはさすがに言わないが)。マーベルはそういうところ、ギリギリちゃんとしてるよなあ。どのキャラクターが何が出来て何が出来ないのか、何が“たまたま”出来て逆転したのか、みたいなところ。

そして、あまりに爆発含めたアクションのカロリーが高すぎるせいで、映っている誰も主体に見えないところ。感情移入の手前に連れ戻される感じがあるなと思った。

 

重箱の隅的な言い草になるが、映画が長いせいで、画の緊張感を保たせられなくて監督が困り始めたなと思ったのは、クリス・パインがバイクで走るシーンを90度横にしたときだ。ああ、辛そうだなと思った。