書き逃げ

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『伝説のライヴ ─HOW THE WEST WAS WON─ <2018リマスター>』リマスターと降霊

前に買っていたのをようやく聞き始めている。

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実際は輸入盤なのだけれど、ちゃんとアナログも付いてる【スーパー・デラックス・ボックス・セット】を買った。よく訓練されたツェッペリン信者なので、全アルバムのスーパー・デラックス・ボックス・セットを買って持っている。一財産使ってしまったわけだが後悔してない。何しろこれを聞くためにスピーカーを買ったのだから。……ってそれはもっと信者ぶりを露呈しているだけやないか。

これは2014年から始まったツェッペリンのアルバムリマスター版全部の話になるが、結構お高いスピーカーを通して聞くと、確かにちょっとはっとするほど音が新鮮になっている。もちろん、古い録音だということは分かる。ピカピカに磨ききってるわけではなく、当時の録音の限界は感じさせる。だが、実はそれも“演出”であって、本当はピッカピッカのトゥルットゥルの音が出来上がっていて、その上に少しざらついた音を被せてんじゃないの、という疑念も持ってる。

そんな疑念はともかく、俺がツェッペリンを聞くのはほぼジョン・ボーナムのドラムを味わう、ありがたく聞かせていただく、摂取するためである。いや、それも正確じゃないか。聞いてるとついついドラムに耳が引き寄せられてしまうのだ。

目をつむって聞いているとき、うまくそういう精神状態に持っていけると、ボンゾが「今」「ここに」いて、叩いているという気がしてくる。さすがに「目の前にいる!」と言い切れるほど高性能の再生機器を使っているわけではないが、多分あるレベル以上のシステムで再生して聞けば、そう思うことは可能だと思う。

特に心が揺さぶられたのは、Ⅱの「モビー・ディック」をハイレゾデータで聞いた時だ。

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ボンゾのドラムソロが聴ける曲で、途中、スティックじゃなく手で(指で)叩いているところがある。ここで、手で叩いている時に指がドラムの革に当たるタイミングが少しズレているのが聞こえるのだ。ヒットの瞬間、片手のそれぞれ三本指が革に当たるとして中指→人差し指→薬指(順不同)と、ごく一瞬のうちだがまったく同時に当たっているのではないことが聴き取れる。

それを聴いたときに、ボンゾの存在がぐっと実体化したのを感じた。俺の部屋でボンゾの肉体が受肉し、幾分かは実際にここにいると感じた。

そしてまた同時に、このリマスターを制作している時にジミー・ペイジはどう感じただろうとも想像した。ペイジのキャリアを最高の高みに持っていった、ロック史上最高のドラマーの音が、当時よりも生々しく(本物を除く)蘇ったのを聴いて。

オカルト趣味を持っていたことのあるペイジだからといって、「俺と同様、『ボンゾがここにいる』と感じたに違いない」と言い張りたいわけではない。でも、ある意味でペイジのキャリアを「ねじ曲げた」、そのドラムプレイの威力には何か改めて感じたのではないかなと想像する。やっぱり、他のどのパートよりもドラムに気を配っている感があるリマスターなのだ。

 

ようやく最後にこのアルバム(『伝説のライブ』)の話になるが、これはライブ盤だからこそのびのびと音をきれいにしていると思う。録音は古いわけだが、アルバムになったのは2003年と新しく、その時点でもブートレグの音質との違いを見せつけるのが一つの売りだった。ノイズなどの薄皮や渋皮はその段階で徹底的に取り除かれていたので、このアルバムではより生っぽさというか、近さを感じるリマスターにしていると思った(が、スピーカーのせいかも知れないです……)。

「モビー・ディック」(LPだと3枚目のB面)は、やはりかなりの近さ。俺の部屋ではなくステージ上にいる音だけど、「今」叩いている音に聞こえて目が覚めますよ。

というわけで寝ようと思ってたのにこれを書いた次第です。

『パシフィック・リム:アップライジング』うーん、面白くない

期待してたんだけどなー。でも、薄目で見てたネットでの評判が低そうなのであんまり期待しないようにして見に行ったのになー。

pacificrim.jp

 

文句を言いたい点はかなり多い。ザックリ言うと「下手」ということで終わるわけだが、ペース配分、見せ場の配分がどうにもおかしい。全くどうでもいい、ちっとも興味が持てない人間ドラマ部分が長々続いて、見る気がどんどん失せていく。それが多分、最大の問題だろう。

俺が気になったのは、「この監督、『ドリフト』のことを全く真剣に考えてないな」ということだった。

前作でのドリフトが冴えたアイデアだったとは思わない。エヴァにおける「シンクロ」みたいなもので、理屈はなんだかわからないけど、「ろぼっとをうまくそうじゅうできなくなることがあるかもしれない」というサスペンスを生み出す仕組みでしかないと思っている。あんまり必然的ではなく、シナリオを書く上で便利な、制作者側のためのギミックだと感じた。

だが、デルトロはそれがあの世界において「ある」ものだとして撮ってはいた。それが今作はどうだ。

二人のパイロットがドリフトした状態でこそイェーガーは動く。ドリフトしている間は、二人はお互いの思考を共有しているわけだ。当然、うまくいっている間は二人の思考は不可分な部分が多く、お互いがどういう状態かは自ずと知れているはずだ。うまくいかなくなった、危機的な状況になればなるほど二人の思考はズレるはずだ。

なのに、今作ではドリフトして普通に操縦している二人が、心配して互いを見やるシーンが頻発する。お前らドリフトしとるんとちゃうんか。全然思考を共有しとらんやないか。

前作では怪獣から攻撃を受けて危機的な状況になったときにこそお互いを見るシーンが出てきた(はず)。危険な状況でなければ、二人とも前を向いていたはずなのだ。顔を見ずに話すだけなのはドリフトしていて、基本的な思考を共有しているから。必殺技の名前を叫ぶタイミングが完全に一致しているのもドリフトしているからだろう。

そこぐらい気をつけましょうや、と思った。演出が下手なのは仕方ないかもしれん。でも、その世界のルールはもう少し真面目に考えた上で撮っていただきたい。

『バーフバリ』2部作に背筋が伸びる

『バーフバリ』を見て身長が伸びた! ということではない。

baahubali-movie.com

 

baahubali-movie.com

異様に力強く、正しい映画である。これが正しい映画なのであって、俺が映画について小賢しくあれこれ考えていたことは間違っている、ということを諭された気がした。

CGを多用した画面は、とても「本物っぽい」とは言えない。アクションに「本当っぽい」傷みが伴っているとも言えない。完全に作り物の世界であり、神話的な話を『ドラゴンボール』のリアリティラインで実写化したものと言うことができる。

しかも、インド映画といえばすぐに誰もが思い浮かぶであろう歌と踊りのシーンも当然ある。王族間の血族同士の争い、裏切りや暗殺、そして他国との戦争まである話にもかかわらず、急にきれいな衣装を何着も着替え、真冬だったはずなのに花が咲き乱れる中、踊り出すのである。

そういうシーンになったとき、俺はどう感じたか? もちろん可笑しくなって笑った。だが、それは作り手がそうさせたいと思った反応だ。観客をここで笑わせ、朗らかにさせたいと思って入れているシーンなのだ。俺は失笑のつもりとして笑ったのだがそうではなかった。そうではなかったことに、どんどん気づかされていくのである。「すいません、さっきのは馬鹿にして笑ったんじゃないんです」と遡ってわびたくなるのである。

荒唐無稽なアクション、ご都合な展開、そんなことは百も承知で作られているものである。

国母シヴァガミほどの優れた指導者でも誤った選択をしてしまうこと。そんなよくあることでありながら娯楽映画がきちんと描けないことを、インドから来た、ハリウッド水準からすると失笑もののCGを駆使した映画が教えてくれる。

 

みたいなことを随分前に書いてアップしようと思っていたのだが、下書きにしたまま今日に至りました。もったいないという貧乏根性で公開します。多分、書き始めたときは3倍ぐらいの長さで書くつもりだったと思う。

純粋一ネタ

プリンスが「to」を「2」、「you」を「U」と表記するのって、小池一夫「ン」「ッ」と同じことなのかもと、『パープルレイン Delux Expanded Edition』を聞いててふと思った。ダサいのかもしれないが、もうそういうレベルではない感じも。

『新感染 ファイナル・エクスプレス』主に顔の話をしよう。

薄い感想書きます。

shin-kansen.com

 

かなり面白い。のだが、洗練されてない頃のK-POP的な泥臭さがあって、そこは非常に惜しかった。

どうも「泣かすゾンビ映画」として話題になっているらしい。それはその通りだ。終盤、全力で泣かしにかかってきますよ。でもそのときの演出、悪く言えば「やり口」が、サビになったら半音上げで盛り上げ続けようとしていた頃のK-POP的なしつこさなのである。そこをもう少しさらっと洗練させてやってくれたら、俺は間違いなく泣いていた。脚本にまずい点は全くないと思う。シンプルな話ですからね。

あり得ない話だが、もし終盤の展開をイーストウッド演出でやられたりしたら、席から立てなくなるぐらい泣いていただろう。イーストウッドがやるわけねえだろ! それはその通りなのだが、もしそれぐらい抑えた演出でやってくれてたらたまらんかったろうなあ。

 

割と多くの人が想起するんじゃないかと思う映画があって、それは『アイアムアヒーロー』だ。言わずとしれた日本製ゾンビ映画の秀作(ということになっている)だ。ごめん、それは東洋人がゾンビやってるという意外は共通点はなかったわ。でも、俺は見ている間、どうしても脳裏にちらちらと浮かんだ。

でも、『アイアムアヒーロー』よりはやっぱりいいところが多いなあと思った。俺にとっては、ですよ。それは(今検索して名前を知った)マ・ドンソクの活躍である。

 

こののっそりしてがさつそうなおっさんね。彼がまさにそういう奴として登場して、なのに途中から大活躍するあたり、韓国映画への信頼感を持たざるを得ないのである。俺にとっては。

マキタスポーツを出していながら、さっさと退場させてしまうのが、日本製ゾンビ映画の限界なのかもしれぬ。と言いつつ、マキタスポーツの演技でずっと出られても面倒くさいかもしれなかった。

 

今作で大いに残念だったのは、細かい話だけど、ゾンビの群れの中に突っ込んでいくときの防備の仕方が雑すぎたことだ。拳にテープ巻けや、せめて。俺だったら前腕とか肘周りとかより先にそこに巻くなと思って見ていた。

 

あと、いいところは子役の顔。これも本当に素晴らしい。

 

ビリケンさん」に似ているなあと思った。

 

登場して間もなくはそんなに可愛く(見え)ない。でも、彼女が父親のどういうところに憤りを感じているのかを開示していくにつれ、そしてまた感情を露わにしていくにつれて、この珍獣っぽい顔がどんどん可愛く見えるようになっていくのである。『E.T.』みたいだな。

総じてみんな顔がいいのだ。東出昌大の黒目を小さくしたような主人公、ズルをして生き残ろうとする社長、列車の運転手、みんなどこか納得させられる。日本でリメイクして東出昌大國村隼笹野高史にしてもちょっと違うんだよなーと思う。この置き換え、結構似てますよ。ご確認いただければ幸いです。

『エイリアン:コヴェナント』愚行によって推進する話はもうやめて欲しい

ジョージ・ミラー先生が『怒りのデスロード』で挙げた成果を踏まえる気にはならんのか……。

www.foxmovies-jp.com

 

最初にいいと思ったところを書くと、画です。腐ってもリドリー・スコット作品、ほほうと思わせてくれます。宇宙服は前作の『プロメテウス』のほうがかっこよかったけど。

コヴェナント号の中で、低温睡眠している乗組員がケースに入ってぶら下げられているのも、「ちゃんと据え付けておけや」とは思うけれど、画としては面白い。画面映え第一の監督だからそれでいいのだ。

見ていて「なんかなー」と感じるたのは、登場人物のショボい愚行で危機的状況を生むという、よくあるといえばよくあるやり口をまた見せられてしまったことだ。一応はホラーだからこれでええという判断なのか? いや、ホラーであればこそ、真っ当な判断をしていたはずなのに(しようとしていたのに)逃れられない悲惨さに入っていくというほうが怖いし感情移入も誘えて効果的なはずだろう。

まず「おや」と思ったのは、予定とは違うけれど、人類が移住出来るかもしれない星を進路の近くに発見して、山登りぐらいの装備で、つまり宇宙服などを付けずにいきなりその星に降り立つ乗組員たちの姿だった。えっ、その過程は描かれてなかったけど、大気組成が地球に近いだけじゃなく、細菌とか未知の毒素とかないことをちゃんと調べたからノーマスクで降りたんだよね? そこははしょってたということだよね? と思ってたら、案の定鼻とか耳からなんかを吸ってエイリアンシリーズお馴染みの見せ場が始まるのである。

これ、エイリアンシリーズの中でも出色の徒手空拳ぶりである。一作目でさえ、宇宙服越しにフェイスハガーにやられてたよなあ。せめて、宇宙服で降り立ち、そこから大気組成を検査して、「毒はなさそうです」とか言うてマスク外すぐらいのことはせんといかんのでは。

で、船の医務室で無事出産されたチェストバスターがピチピチと暴れ回ると、パニクった乗務員が船内をでかい火器で打ちまくり、船をまるごと爆発炎上させてしまう。何しとるねん。あほちゃうか。

いやもちろん、現場にいたら俺たちもそうしちゃうのかもしれないよ。でも、観客が「そんなんしたらアカンに決まってるやろ」と当然思うことを登場人物がし続けるのは、こちらの見る力を低く見積もって「これで意外な展開に見えるでしょ?」と言われているようにしか感じられないのだ。見えねーよ! ショボいお約束展開にしか見えない。

デビッドとウォルターの意味ありげなやりとりとか、ミシェルとかバイロンとか、古典に基づいたなんかなんだろうけど、それはようわかりませんでした。しかしこれ、元ネタがわかったら「すげえ!」と思ったのだろうか。

あと、ある登場人物に目印となる傷を付けるというシーンが意味ありげに撮られているのだが、それが全く見分けることに活かされないというのもなんなのかと思ったな。一応、理屈が付けられなくはないにしても、不要だろう。

そしてそもそも……本当にそもそも、低温睡眠の乗組員が2000人いる船、という設定からすると、オチはあれ以外ない。そうなるだろうなーと思ってたらやっぱりそうなって終わる。もう少し頑張ってひねりましょうよ……。

『エル ELLE』面白いにもほどがあんだろ!

他の映画はすっ飛ばすしかないよなー。

gaga.ne.jp

 

エイリアン:コヴェナント』とか『新感染 ファイナル・エクスプレス』とかもね、見てはいたんですよ。でも、それは後でもいいでしょう。

ポール・ヴァーホーベン監督の久しぶりの作品ということで(ザックリ言うてますよ)、期待が高まっていた人は多いはず。俺もご多分に漏れず相当期待が高まった状態で見たのだが、本当に、ほんまに、心の底から面白かった。

フランス映画ということで、少し心によぎるのが『ブラックブック』の出来である。

いや、この映画が面白くなかったわけではないんですよ。でも、ヴァーホーベンのフィルモグラフィーの中では“トンデモ”的な面白さが強い一本だったと思う。主人公の女が「どうしてこの悲劇はなくならないの!」みたいなことを全力でシャウトする場面があるのだが、当時の俺は「え、この女そんなこと考えてたんだ?」と笑ってしまった。ヨーロッパで作ったせいで、なんかキモを外したトンデモ感に行ったのかなーと俺は思ったのだ。

『ブラックブック』で最高に良かった、そこを見られただけで満足したのは、終盤のシーンだ。棺桶に入った男をヒロインがネジを締めて窒息させて殺す。急いでいるんだけどそんなにネジは早く回せない。ゆっくり回しているうちに、中からドンドンと叩く音が聞こえなくなっていくのは、ぞわっとしてとても良かった。さすがです。

そもそもヴァーホーベンの映画で、トンデモ的な面白さがないものがあったかというと、正直ないわけだが、にしてもなんか『ブラックブック』は全体的に残念感が強かったのだ。“時代劇”をきちんと作れてない感じがしたんだと思う。

今回の『エル』は現代劇でもあるし、そういう不満は全然なかった。フランス映画っぽい、みんなが浮気、不倫、不貞をしまくる様子も違和感なかったし。ハリウッドの高カロリー映画でなくてもいいところを見せられるんだな、とオランダ時代の作品を見ていない俺は思った。

 

面白くてたまらないのは、いろんなシーンが、観客がどう受け取るか開かれている点だ。それぞれのシーンが、ヒロインを中心にして言うと、彼女が加害者なのか被害者なのか、罠にかけようとしているのかはめられようとしているのか、どちらとも言えない描写ばかりで語られていく。さすがに終盤に至ると「あれはこういうことだったのね」と思うけれど、途中は本当にどっちともとれるシーンばかりで、しかもどっちに解釈しても緊張感が素晴らしい。

例えば、ある登場人物と地下室に降りていくとき、彼女が罠にかけているのか、それとも性欲に駆られてしまっているのか、それはわからない。しかも、後になってすら「ああ、前者(あるいは後者)だったのね」と切り分けられられないままで進んでいく。1か0かではないし、両方足すと170パーセントぐらいのことのように見える。それがもう、メチャクチャに面白いのだ。

また(同じことを言ってるけれども)、ヒロインが「いい人」なのか「イヤな奴」なのかもブレながら話は進んでいく。被害者であることと「イヤな奴」であることは両立するわけだ。息子の嫁を「育ちが悪い」と罵るのは、やっぱりイヤな奴だろう。性暴力被害者であっても、イヤな奴はいるに決まっている。

善悪のあわいがはっきりしない世界を、というかそういう世界を現出させ体現するヒロインの話であるにも関わらず、おおまかには「サイコサスペンス映画」として見せてしまうあたりの下世話な手腕も素晴らしい。全然難しくない映画なのですよ。

素晴らしいシーンが本当に多い映画である。息子の嫁が子どもを産むシーン(で、ニヤニヤしている息子の黒人の友達)。向かいの家が引っ越すときにその家の妻が言う一言。ヒロインのゲーム会社が作るツカミのムービー。

「この映画が向かうところはどっちでしょうね? これ、いいんですかね? ヒロインはどうかしてませんか? フランス人の浮気好きって面白いよね?」

そういったことをほのめかしつつ、それを否定も肯定もせず俗悪なエンターテインメントにして、しかも女性の自己決定権を称揚する映画にしてしまう手腕は、ヴァーホーベンにしかないと思った。メチャクチャ傑作です。最後になるけど、イザベル・ユペールの演技と存在感、そして造形が最高。